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今までに好きになった馬達です!! |
[4] ビワハヤヒデ | ||
1990年3月10日生まれの牡馬で、父Sharrood、母パシフィカス、
母父Northern Dancerという血統の持ち主。
毛色は芦毛。生涯成績は10 5 0 1。
ご存知、三冠馬ナリタブライアンの半兄で平成三強の一頭。
ライバルのナリタタイシン、ウイニングチッケトとのクラシック路線での戦いはいつも、白熱していました。
菊花賞で悲願のG1制覇を成し遂げた時は感激しました。
最後のレースとなった94年の天皇賞(秋)で全戦オール連対はついえてしまいましたが、ナリタブライアンの菊花賞の前の週だったのでナリタブライアンが三冠を決めるそのゴール前で当時、実況をしていた杉本清氏の「弟は大丈夫だ、弟は大丈夫だ。」の名ゼリフが生まれるきっかけにもなりました。
私が好きになったきかっけは、当時はまだオグリキャップの余韻が残っていて、芦毛の馬に人気が出る傾向にあったので、まだ競馬を見始めたばかりの私にとっては芦毛という毛色がとても魅力的でした。
そういう事も影響して芦毛という毛色と父親がSharroodというマイナーな血統という事もあって、応援したい気持ちから好きになったんだと思います。
また、この馬のおかげで血統には母親もとても重要だと教えてもらいました。 | ||
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[3] メジロパーマー | ||
1987年3月21日生まれの牡馬で、父メジロイーグル、母メジロファンタジー、母父ゲイメセンという血統の持ち主。
毛色は鹿毛。生涯成績は9 5 2 22。
障害レースを経て宝塚記念、有馬記念を制覇。
人気薄で逃げ切る展開のG1制覇は今の私の予想にも、大きな影響を与えてくれています。
地味な血統背景や脚質、障害へ転向してからのG1制覇など紆余曲折をへて大成した事や、更にこの当時はメジロマックイーンという名馬の陰に隠れていたという事もあってスターホースには成りきれないという所が私の好きになったポイントでしょうね。
私の好きな逃げ馬の一頭です。
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[2] ミホノブルボン | ||
1989年4月25日生まれの牡馬で、父マグニテュード、母カツミエコー、母父シャレーという血統の持ち主。
毛色は栗毛。生涯成績は7 1 0 0。
無敗で皐月賞、ダービーを制し無敗の二冠馬に。
無敗でシンボリルドルフ以来の三冠馬へ挑戦するも、ライスシャワーの2着に敗れ三冠を逃す。
私が好きになったきっかけは、栗毛であり、逃げ馬という事もありますが、故戸山調教師によるスパルタ調教によって鍛え上げられたミホノブルボンへの感情移入が一番だと思います。
坂路調教の申し子であるミホノブルボンは、師の期待に応えてぐんぐん成長し結果を残したという点でも私の心に響きました。
競馬を覚えたての私に、競馬のロマンを教えてくれた一頭です。 | ||
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[1] ゴールデンジャック | ||
1991年3月31日生まれの牝馬で、父Afleet、母コマーズ、母父Danzigという血統の持ち主。
毛色は栗毛。生涯成績は4 5 3 17。
私が好きになったきっかけは、桜花賞・オークストライアルを制覇した後のオークスで2着に来た事ですかね。
あまり競馬を知らなかった私が初めて人気薄の馬を応援して、勝つ事はできませんでしたが期待にこたえてくれた思い出深い馬です。
競馬の楽しさを教えてくれたとても大切な馬です。
栗毛という毛色、最後の末脚、どれをとっても大好きという馬です。
一般的には四位騎手を全国区にした馬と認識されていると思いますが、デビュー当時の福永騎手もこの馬に騎乗しています。
私の気持ちとしては、福永騎手の重賞初制覇がこの馬だったらもっとメジャーな馬になれたんだろうなと、今でも悔やまれます。
チャンスはありましたからね・・・
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