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すきうま
    
 
 
            今までに好きになった馬達です!!

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 [27]   サクラバクシンオー
1989年4月14日産まれの牡馬で、父サクラユタカオー、母サクラハゴロモ、
母父ノーザンテーストという血統の持ち主。
毛色は鹿毛。生涯成績は11 2 1 7。
この馬は真のスプリンターというものを見せてくれた馬です。
距離別成績を出してみるとわかるのですが、芝1200mの成績が6 0 0 1で芝1400mの成績が4 0 0 0で残りの1勝は新馬戦のダート1200mです。
1400m以下のレースでは、ほぼパーフェクトの成績を残しています。
唯一の敗戦は92年のスプリンターズSです。
これは4歳(現3歳)馬だったこの馬が、初のG1出走の時にニシノフラワーに0.6秒差で敗戦したものです。
これを除けばパーフェクトなので、本当にスプリンターだという事がわかりますよね。
この当時は1200mのG1はスプリンターズSしかなかったので、このレースしかこの馬には目標のレースがなかったのがこの馬にとっては不幸な事でした。
この馬のスピードは次の世代にも受け継がれているので、これからも速い馬をこの馬から輩出して次の世代へ繋げていって欲しいですね。
update:
2006/11/26

 [26]   ダイタクリーヴァ
1997年3月24日生まれの牡馬で、父フジキセキ、母スプリングネヴァー、
母父サクラユタカオーという血統の持ち主。
毛色は栗毛。生涯成績は7 5 2 5。
この馬は新人騎手の時から追っていた高橋亮騎手が初めてG1を獲れそうなところまでいったという思い出深い馬です。
この馬は00年のシンザン記念、スプリングSを高橋亮騎手が鞍上で連勝します。
そして皐月賞では1番人気に支持されます。
私は、ずっと応援していた高橋亮騎手にも、ようやくG1を獲れるチャンスが来たと期待をしながらレースを見ていました。
本当に、無難に乗れば勝てるレースでした。
しかし、結果はエアシャカールの2着でした。
本当に、この時は悔しかったです。
続く、日本ダービーでは距離の壁に泣き12着。
その後は菊花賞には向かわずにマイル路線へ向かいます。
そのマイルCSでは高橋亮騎手は乗っていませんでした。
仕方のない事ですが・・・
必勝態勢の下、安藤勝巳騎手に乗り替わりました。
そのレースでも結果は惜しくもアグネスデジタルに急襲され2着でした。
その後も、重賞は勝てるのですが、G1には勝利する事が出来ませんでした。
この馬でもし、高橋亮騎手が皐月賞を制していたらと思うと、今でも残念でありません。
 
 
update:
2006/11/19

 [25]   アグネスフライト
1997年3月2日生まれの牡馬で、父サンデーサイレンス、母アグネスフローラ、母父ロイヤルスキーという血統の持ち主。
毛色は栗毛。生涯成績は4 2 0 8。
この馬は河内洋騎手が念願のダービーを勝った馬として記憶に残っています。
この馬は年明けにデビューし、皐月賞には出走が叶いませんでしたが、晴れの舞台、日本ダービーに出走してきました。
世間は98年に武豊騎手がスペシャルウイークで念願のダービーを制覇した後、99年にアドマイヤベガで制し、00年の今回も本命馬エアシャカールに騎乗するという事で、前人未到のダービー三連覇の話題で持ちきりでした。
そんな中で、00年の日本ダービーはスタートしました。
このレースは本当に記憶に残るレースだと思います。
最後の直線で武豊騎手の騎乗するエアシャカールと河内騎手の騎乗するアグネスフライトは競り合います。
ゴール前、アグネスフライトがエアシャカールをハナ差捕らえたところでゴールし、河内騎手が念願のダービー制覇を成し遂げました。
兄弟子の河内騎手が弟弟子の武豊騎手の偉業を阻止し、自身は念願のダービーを制したという感動のレースでした。
その後、菊花賞ではエアシャカールの5着に敗れます。
この世代の1つ上にはテイエムオペラオーがいて、この世代は古馬になってからはレベルの差があり、残念ながら活躍はできませんでした。
しかし、ダービーで感動的なレースを見せてくれた事は、今でも色あせません。
update:
2006/11/12

 [2]   ワンダーパフューム
1992年3月7日生まれの牝馬で、父フオテイテン、母ラブリースター、
母父トウショウボーイという血統の持ち主。
毛色は鹿毛。生涯成績は2 1 2 4。
この馬はG1が予後不良になるという、ショッキングな出来事を見せられた馬です。
この馬の唯一のタイトルが95年の桜花賞です。
95年の桜花賞は笠松から中央へ挑戦してきたライデンリーダーがその当時、笠松のNo.1ジョッキー安藤勝巳騎手によって中央のG1を勝つという偉業を目指していたので、注目が集まっていました。
他にも武豊騎手が騎乗の良血馬ダンスパートナーなど、強豪が集まったレースでした。
このレースを7番人気ながら、見事快勝します。
続く、オークスは3着、エリザベス女王杯は距離の壁にぶち当たって16着と大きく敗退します。
そして、年明けの京都牝馬Sで適距離に戻り、2番人気に推されます。
ここで、復活を期待されてスタートしたこの馬はゴール板を駆け抜けることはできませんでした。
私も期待して見ていたので、このレースは今でも覚えています。
G1馬が競走中に故障して予後不良になるという最悪の結果になってしまいました。
この当時は主戦の田原成貴騎手の騎乗に惚れ込んでいたいた事もあり、この馬を好きになりました。
この馬の仔が見られなかったのは残念でなりません・・・
update:
2006/11/05

 [24]   ワンダーパフューム
1992年3月7日生まれの牝馬で、父フオテイテン、母ラブリースター、
母父トウショウボーイという血統の持ち主。
毛色は鹿毛。生涯成績は2 1 2 4。
この馬はG1が予後不良になるという、ショッキングな出来事を見せられた馬です。
この馬の唯一のタイトルが95年の桜花賞です。
95年の桜花賞は笠松から中央へ挑戦してきたライデンリーダーがその当時、笠松のNo.1ジョッキー安藤勝巳騎手によって中央のG1を勝つという偉業を目指していたので、注目が集まっていました。
他にも武豊騎手が騎乗の良血馬ダンスパートナーなど、強豪が集まったレースでした。
このレースを7番人気ながら、見事快勝します。
続く、オークスは3着、エリザベス女王杯は距離の壁にぶち当たって16着と大きく敗退します。
そして、年明けの京都牝馬Sで適距離に戻り、2番人気に推されます。
ここで、復活を期待されてスタートしたこの馬はゴール板を駆け抜けることはできませんでした。
私も期待して見ていたので、このレースは今でも覚えています。
G1馬が競走中に故障して予後不良になるという最悪の結果になってしまいました。
この当時は主戦の田原成貴騎手の騎乗に惚れ込んでいたいた事もあり、この馬を好きになりました。
この馬の仔が見られなかったのは残念でなりません・・・
update:
2006/11/05



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